Olive Project show at al-Hoash in Jerusalem
オリーヴの苗が届く、そして再びパレスチナ
エルサレムに戻る朝、アンタルはカランディア(エルサレム・ラマッラ間の検問所)で時間がかかっていると電話してきたが、ほどなく現れた。若い美術家を支援しているカッターン基金から、受賞候補となった作家の作品を纏めたカタログが3冊(隔年なので6年分)贈られ、他の書籍も合わせると7キロか8キロだろうか、東京に送ることにしたので、ヴェラはアンタルに輸送会社の場所を説明する。別れの挨拶、ハグとキスをヴェラと交わし、助手席に乗り込むと「その輸送会社を使うの?オリーヴを送るのも」と、アンタルが訊く。「ラマッラ滞在中も輸送会社をあたってみるんだよ、わかった?」と言って、彼はエルサレムに戻ったのだった。「解決したのよ」と、ヴェラがPARCを紹介してくれたこと、その所長がアルアマルを知っていて直接話し、東京への輸出業務を引き受けてくれたことなど伝えた。「それはよかった」とアンタル、彼は笑うことがない、でも安堵は伝わってくる。7キロか8キロと見積もった書籍類は12キロあった。
2007年2月2日、わたしはアンタルのワゴンでヨルダンとのボーダー、ヨルダン川にかかるアレンビー橋に向かった。軍事占領下、出入国オフィスを管理するのはイスラエル軍、パスポートをチェックするのはイスラエル兵である。オリーヴの苗木100株を、持ち帰ることも考えたが、没収されずに出国できる確信はなかった。デモに対してイスラエル軍が撃ち込む催涙ガス弾が足下に転がった場合、それを拾ってイスラエル軍に投げ返すことも「暴力」として催涙ガスにむせ返ることを選ぶ非暴力国際連帯組織ISMをも「テロ組織」指定するイスラエル政府にとっては、わたしもまた「テロリスト」に違いない。
5日にアンマンを発ちパリ経由で6日に東京に戻ったが、3月にはビルゼイト大学美術館で、4月にはエルサレム、アルホウシュ画廊で「オリーヴ・プロジェクト」展の開催が決まっていたから、東京滞在も1ヶ月ほど、荷を解くつもりもなかったが時間もなかった。
オリーヴ発送を知らせるメールがサリームから届いたのが12日、わたしは(あたかも輸出手数料を支払ってでもいるかのように)トラッキングしたいから輸送会社とシリアル・ナンバーを知らせて欲しいと書き送った。代理店から送らせるのに手間取ったのかもしれない、18日に送り状をスキャンしたPDFファイルが転送されてきたが、トラッキングする前に、2月19日、オリーヴの苗木100株は成田に到着した。
ビルゼイト大学美術館での「オリーヴ・プロジェクト」展オープニング、3月14日は朝から土砂降りの雨だった。大学美術館でヴェラとオープニングの準備をしながら「誰か来るかしら?こんな雨の日、わたしだったら展覧会になど行かない」と言うと「ラマッラ農業協同組合からオリーヴの苗が贈呈されることになっているの、ユニオンのメンバーが出席するわ、でも植樹式は無理ね」と彼女。パレスチナ在住の出品者も少なくなかったから(新たにラマッラの作家とパレスチナ在住のスエーデン水彩画家が加わった)、出品者は出席するに違いない。「サリームも来るのよ、この展覧会はPARCの支援を受けているの」、ヴェラのことば通り彼はやって来てオープニングで「あいさつ」した。雨は激しさを増すばかりだったのに、会場は人びとであふれた。「感謝のしるし、土産があるの」、サリームのオフィスを翌日、10時に訪ねることにする。
翌朝目覚めると雨は湿った雪に変わっていた。ラマッラ、ラムは高地、アッラーは神の意、「神宿る高地」、一説では「神に導かれた民が住まう高地」、ラマッラでもオリーヴは育つのだから信州でも育ってくれるに違いないと思えるほど寒かった。携帯電話が鳴って「雪だよ、雪」と声の主、「エルサレムも雪なの?ラマッラは雪だけど」とわたし。エルサレムに行ったなら、この友人宅に、数日か1週間、仲違いしなければ10日ほど滞在することになっていた。
晴れているならPARCは歩いて行ける距離だが、滑りそうでタクシーを使う。
オープニングへの出席と展覧会への支援、そして何よりオリーヴ輸出の労を感謝する。「展覧会支援はわたしたちの義務」とサリーム。用意した土産は揃いのマウスパッドとアームレスト、DVDケース、(わたしの問い合わせに答えるばかりでなく、アルアマルの準備状況や、発送後のベングリオン空港での調査のことまで、必要な情報をすべて知らせてもらっていた)あまりにコンピュータに向かわせすぎたと感じていた。そして夫人に日本の組紐、帯締め、「ピュア・シルクよ、ベルトに使うの」と言うと「知ってる、ニッポンに行った時の妻への土産はキモノだったから」。
「オリーヴの輸出でおかけした手数への返礼に、わたしにできることがあるならどんなことも厭わない」と言うと「ニッポンにはオリーヴオイルを輸出していますから、わたしたちの希望は、やはり、ニッポンでの消費拡大です」と、予測した返事、「努めてみます」と応じる。輸送明細書と送り状、残金を受け取る時に、サリームがヴェラに渡した2,000ドルの預かり証を回収しなかったことに気づく。「構いません、ヴェラに廃棄するよう伝えてください」。
このようにして、パレスチナのオリーヴの苗木100株の輸出に関する全行程を終えた。
ビルゼイト大学美術館での「オリーヴ・プロジェクト」展が終わり、エルサレムのアルホウシュ画廊に展示して、そのオープニングが4月5日、東エルサレムYMCAからエルファムも出席した。
イースターの季節、エルサレムのいたるところ、観光客で溢れていた。そんなエルサレムを、4月7日、あとにする。やはりアンタルのワゴンで、しかしワゴンには満杯の観光客、もはや独占とはいかなかった。ひとつ残っていた座席に滑り込むと、隣にフィリピンからやって来た夫婦と後ろの座席に成人に達した子どもたち。ともかくも太平洋戦争を詫びる。侵略国のパスポートを持つ身、肩身は狭い、が、互いの所属の国が明らかになった以上、何事もなかったように話しだすわけにはいかない。「もう過去のことですから」と言ってもらえるが、彼らにとっても、そう言うよりほかないのだ。
オルター・トレード・ジャパンが輸入するPARCのオリーヴオイルは月桂樹の香りがする。わたしは1ダースづつ注文する。個人的な嗜好で、オイルの消費量はきわめて少ないから、贈り物に使う。これで、サリームと約束した「ニッポンでの消費拡大」に努めていることになるだろうかと、時々考える。少なくても、パレスチナのオリーヴの苗木を希望した美術館の、アネックス・ギャラリーが併設するカフェではPARCのオリーヴ・オイルを使っている。信州の、読書館が併設するレストランではどうだろうと、考えている。(おわり)
PARCのオリーヴオイルの注文はこちら:オルター・トレード・ジャパン
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