2012/09/06

緊急警報:サメル・アルバルク、ハッサン・サファディ、アイマン・シャラウナの命を救うため今行動を!


パレスチナ囚に連帯するロンドン抗議、8月18日。

サメル・アルバルクは、2012年4月から5月の大規模囚人ハンガーストライキでの先立つ30日間ハンガーストライキに加え、現在、105日間、ハンガーストライキしてきて、仲間のパレスチナ囚、アクラム・リハウィからこのタイトルを受け取って、世界のどこであれ最長のハンガーストライキを務めています。

2012年4月から5月の期間を含み71日間の長期ハンガーストライキのトップ、75日間ハンガーストライキしてきたハッサン・サファディと、今、65日間食物を拒絶してきたアイマン・シャラウナが、彼に加わります。アッダミール、人権医師団、アルハクにより確認されるように、3人すべてが、重要な腎臓病、意識不明、免疫低下を含む深刻な病状に苦しみます。彼らの即時解放とサメル・アルバルク、ハッサン・サファディ、アイマン・シャラウナの命を救うよう求めて、今日、行動してください!

今すぐTweetしてくださいAct Now for #PalHunger Strikers #SamerAlBarq #HassanSafadi #AymanSharawna Lives on the line for Palestine! Act: http://samidoun.ca/?p=1456

3人はみな、囚人運動とイスラエル刑務所業務との間の5月14日合意(また先の合意)のイスラエルの違反に抗議しています。その合意の条件のひとつが、行政拘留下で捕らえられる現在の囚人たちは、拘留を更新せず、サファディの拘留のような長期ハンガーストライカーたちはことさら更新されないだろうというものでした。しかしながら、5月21日 - 合意後僅か1週間で - アルバルクの行政拘留命令が更新され、彼はハンガーストライキを再開しました。サファディが、彼自身の行政拘留命令が更新された6月21日、彼に加わりました。

他方でアイマン・シャラウナは、大規模捕虜交換合意の一部として2011年10月に解放されました。しかしながら、彼は、その直後、2012年1月に再逮捕され、その時以来、刑事告発なしに捕らえられてきました。彼は、逮捕から6ヵ月を記念する7月1日に、ハンガーストライキを開始しました。

これらパレスチナ囚の生命を護るため、緊急アクションが必要とされます。彼らは、1.8メートル×1.5メートルの独房に、一緒に捕らえられてきて、車椅子の余地はなく、そして、彼らの医師たちがその命への深刻な健康の脅威を報告してさえ、現在、病院のベッドに手と足を拘束されます。サメル、ハッサン、アイマンの解放のため、そして非常に必要とされる健康管理を彼らに確実にするため、今、わたしたちが行動することは緊急です。

イスラエル刑務所業務は、多くの手法で5月14日合意に違反してきました - ディラール・アブシシは独房幽閉のままで、もうひとりの囚人が最近、隔離に移動されました。ガザの囚人たちの親族訪問もまた、現在発表されてきましたが、それらは「実験的」で、囚人479人の小さな部分にのみ適用され、訪問から囚人の子どもたちを除外するでしょう。オフェル刑務所は、今ひとたび、パレスチナ囚に対する抑圧を拡大しています。

ウルード・カセムは最近、刑務所から家に戻り、初めて人前で話しました。パレスチナ囚すべてが、その家族と家に戻るため、わたしたちが今行動することは火急を要します! パレスチナ人は、これらの人びと - アパルトヘイト、占領、抑圧に対する抵抗、および、彼らの土地と人びとを解放するための参加で占領刑務所に捕らえられるパレスチナ囚すべて - の解放を求めるガザ行動週間を組織しています。パレスチナ民衆の続く投獄と虐待への責任を占領にとらせるため、国際連帯と行動が必要とされています。

行動してください!

1. イスラエル国が、サメル・アルバルク、ハッサン・サファディ、アイマン・シャラウナを直ちに病院に移送し、彼らを解放するよう求める書簡に署名してください。世界は見ていると、イスラエル刑務所業務に告げてください! 署名するのにここをクリックしてください。

2. パレスチナ囚にその責任を維持し、サメル・アルバルク、ハッサン・サファディ、アイマン・シャラウナの生命を救うため行動するよう求める赤十字国際委員会への書簡に署名してください。署名するのにここをクリックしてください。

3. パレスチナ囚のため、イスラエル領事館前での抗議やデモンストレーションに参加してください。多くの集団・組織がイヴェントを開催しています - どれかに加わるか、あなたの町かキャンパスで、パレスチナ囚に関する、イベント、アクションあるいはフォーラムを組織し、あなた方自身のを発表してください。わたしたちと連絡をとるためにこの書式を使用し、わたしたちはイヴェントを広く掲示するでしょう。あなた方のイベントのため、提案、素材、話者を必要とする場合、わたしたちに連絡してください:samidoun@samidoun.ca

4. 政府関係者に連絡し、パレスチナ政治囚の抑圧への国際的沈黙と共犯を終らせるよう要求してください。(略:カナダの場合の連絡先、米国の場合の連絡先)

5. ボイコット、資本引き上げ、制裁の呼びかけに加わってください。イスラエルの製品、および、学術的・文化的団体を、鉄格子の向こうのパレスチナ囚何千人もの解放を含み、パレスチナの権利(難民の帰還権、占領からの解放、完全な平等を含み)すべてが履行されるまで、ボイコットしてください。


イスラエル当局がストライキする囚人、サメル・アルバルク、ハッサン・サファディ、アイマン・シャラウナを解放するよう要求する

パレスチナ囚、サメル・アルバルク、ハッサン・サファディ、アイマン・シャラウナの続くハンガーストライキに、世界中で関心を持っていると、イスラエル政府関係者が耳を傾けることは火急を要します。アルバルクは、現在、105日間ハンガーストライキしてきて危篤です。彼はパレスチナの歴史で最長のハンガーストライカーです。ハッサン・サファディは、現在、ハンガーストライキの75日目にあり - 先立つ71日間のストライキでトップにあります。イスラエルに、世界中の人びとが、彼らの解放を要求しており、パレスチナ囚人の状況を監視しており、イスラエル当局が彼らの生命に責任を負うと伝えてください。イスラエル当局に抗議文を送るためにこの書式を使ってください。

全文:Samidoun

2012/09/05

パレスチナ人1,500人がIDF「発砲地帯918」に道を開くため追放に直面

+972blog
2012年08月29日

「発砲地帯918」は、19世紀以来ずっとそこに住んできたパレスチナ人何百人もの故郷、西岸の土地の一部のイスラエル軍の用語だ。なぜ彼らが追い立ての脅威下にあり、どのように行われているか? 入門書。

Eyal Raz


「危険。発砲地区。入域禁止」(Yossi Gurvitz)

「我々は、『IDFの必要な適合性』を維持しなければならない」。

これは、イスラエル国が、西岸南部のパレスチナの8つの村を破壊し、彼らの土地から住民1,500人を追放する、国防大臣、エフード・バラクによるその最近の命令に与えた理由である。イスラエル軍が、いわゆる訓練のため欲する「発砲地帯918」は、ヘブロン丘陵南部の民間の土地と農地30,000エーカー(3673万坪ほど)を含む。パレスチナ住民は、何世代にもわたり、これらの土地に住み仕事してきた。1999年以来、追放の脅威は、彼らの頭上につきまとった。これらの村の命運は、まもなく決せられるだろう。

1. 追放と法的展開の年代記

イスラエルは、1970年代中頃、その地域を「軍事閉鎖地帯」と宣言した。1999年、(イスラエル占領軍)民事行政が、何十もの建物の破壊命令を発し、同年、10月から11月の間、イスラエル当局は、住民700人以上を彼らの家から追放し、彼らの土地を没収した。追放オペレーションを通し治安部隊は、洞穴を閉鎖し、テント、井戸、トイレの構造物を破壊した。4ヵ月後、イスラエル高等裁判所は、人びとが彼らの土地に戻ることを可能とするよう命じ、確定判決まで彼らの追放を禁止した。防衛大臣と当時の中央司令部長官は、交渉でイスラエル支配下の地域を部分的に継続するため、追放を維持しようとした。

2005年、合意なく調停が終了した後、民事行政により出された新破壊命令を回避するため、公聴会が再開した。(ここ何年かの法的手続きの連続と、追い立てに直面する村民たちに対する治安部隊と入植者の暴力の証言は、ここをクリック。)次の7年間、仮命令は、一時的に村の破壊を妨げた。

7月、国家は、発砲地帯と指定された殆どの地域で「永住権は許可されない」とする防衛大臣の見解と、許可書に元来含まれた12村のうち8村は撤退させられなければならないと、高等裁判所に通知した。弁護士たちにより提出された基本的議論と無関係な手続き上の理由で、高等裁判所は、訴状は廃棄されると命じた。しかしながら、破壊を禁止する仮命令は損なわれず残り、住民たちは、その最終期日前に新たな訴状を提出するだろう。

2. 政策の例証としての「発砲地帯918」

1995年にイスラエルとPLOの間で署名された暫定合意の枠組みで引かれたオスロ(合意)地図によれば、西岸の60.2パーセントは「エリアC」と指定される。最終地位協定に達するまでの5年間適用されると考えられたこの地図は、ひとつの主要な原則:人口統計学に基づいて企まれた。西岸の異なる3つの地域への区分は、大幅なパレスチナ住民支配をパレスチナ自治政府に移転するのを可能とした一方、同時に、大きく(パレスチナ人による)人口密度の低い領域のひと幅を、完全なイスラエル支配下に維持する。

殆ど20年前のオスロ以来、イスラエルは、その目標が、地域に対するイスラエル支配を深め永続化する、エリアCでの首尾一貫した政策を固めてきた。この政策は、一方的に西岸の将来を決定し、エリアCに住むパレスチナ人の技量を縮小する両方で、多くの異なる手法でなされる:

- 土地没収と土地を「国有地」と宣言

- マスタープランの欠如と、被占領地のパレスチナ人への建築許可の系統的非-支給

- 国定公園と自然保護区の宣言

- 分離壁とシーム・ライン(分離壁に付随する監視道とバッファーゾーン、と思われる)建設のための軍没収命令

- 領域を立ち入り禁止にしてそれを「軍事訓練地帯」と宣言:パレスチナの主要都市すべてが位置するエリアAに含まれる全領域より僅かに越える西岸のおよそ18パーセントが「発砲地帯」と宣言されてきた。異なる38のコミュニティの5000人が、これらの土地に住む。彼らの土地が「発砲地帯」と宣言される前に、彼らの殆どはそこに住んだ。

イスラエルは、パレスチナ人に、西岸のおよそ44パーセントとなるエリアCの70パーセントに建設する権利を明白に拒否する。エリアCの残り30パーセントで、実際問題として、(イスラエル占領軍)民事行政が、「その多くは既に建設された」エリアCの1パーセントのみにパレスチナ人が自由に建設するのを可能とするといった、建設許可を獲得するパレスチナ人の機会を極小化する妨害が存在する。

そうした首尾一貫した差別は、とりわけ、(ユダヤ人入植者に奉仕するよう指定された20の地元計画委員会とは対照的に)計画過程からのパレスチナ人排除を通して遂行される。それは、2007年から2010年の間、(イスラエル占領軍)民事行政が、その人口がおよそ150,000人のエリアCで、パレスチナ人に合計で64件の建築許可を提供した現実を創出してきた。

彼らの土地からパレスチナ住民を立ち退かせるため利用される異なる手法間の識別は、法的手続きにとり、またアーチで覆う、そしてこれら異なる手法すべての陰にある統合政策の認識にとり重要だ。今年初め、EUにより公表され、すべての加盟国に支持された報告で、イスラエルの政策は、「先住民の強制移送」と名指された。この政策により大方、エリアCは今日、1967年以前、200,000人から320,000人のパレスチナ人が、(今日エリアCである)ヨルダン渓谷に住んでいた、6パーセントに満たない西岸パレスチナ住民の家である。

3. 住民追放と村々の破壊:国際法対イスラエル国

「生命維持基盤」の破壊 - この事例に於ける8村 - 実際、保護される人びとと定義される住民の強制追放を意味する。この追放は、第4ジュネーヴ条約(第49条)とハーグ条約に反する。国際法の専門家たちは、条約のこの条の違反は戦争犯罪であると述べる。それはまた「保護される人びとの離れる原因が間接的に創出された状況であれ、禁止されるものとする」と限定された。その用語がこの事例に適用されない、この「絶対的禁止」の個々の例外、彼らが住民移動の期間の利用を留保されるとき、そして地域での戦闘終了後、彼らの土地に直ちに戻る権利を移転された人びとが留保するとき、がある。さらに、(ジュネーヴ)条約追加協定 I 54条は、保護される民間人人口の生存に必要な建物の破壊、あるいは損傷の禁止を明確に述べる。

これら非常に明瞭な条項に対し、イスラエルは、「IDF(イスラエル国防軍)の必要な適合性」を維持することを地域の活力が可能にするという理由で、その立場の正当化を企てている。住民に渡される明け渡し命令は、村人たちがその地域の永住者でなく、したがって、発砲地帯に許可なくいるべきでないとの国家の主張に基づく。この議論は、何世紀もの間、遅くても1830年代以来、住民の「生活の中心」である、村々の存在を証明する歴史的記録を無視する。2005年に行なわれた調査で、住民の88パーセントが「閉鎖地域」に位置する洞穴で生まれたことが分かった。その時以来の村々の存在を記録した調査のひとつ、「ヘブロン山の洞穴の生活」が、国防省により、1985年に公表された。

4. それは誰の闘争か?

差別を通した分離政権の存在は、南ヘブロン丘陵で、あるいはエリアC全般で、新しいことでない。例えば、破壊の脅威が、これらの8村の住民につきまとう一方、部分的かあるいは全体が「発砲地帯」内に位置する入植者前哨基地10ヵ所は、そうした脅威下にない。さらに、IDF(イスラエル国防軍)は最近、「軍事閉鎖地帯」と定義される「発砲地帯」の移動が、地域の交通を禁止する軍令に違反するとして、パレスチナ人が所有する車輌(複数)を没収した。その唯一の道路が、「軍事閉鎖地帯」と定義されたまさにそれら領域を通ってうねるAvigail入植地居住者にそうしたことはなされない。

イスラエルの系統的差別の経済的帰結も同様に激しい:エリアCでの、工業地帯、農業、住宅の開発不履行は、パレスチナ経済の実行可能性に疑いを抱かせる。これら制限は、地域の入植者が利用する政府予算で、際立つ対照にある。居住者への政府投資によりランクされる地方・地域議会253のリストの上位は、第1位をマウント・ヘブロン州議会が占める、入植地を包含する5つの議会だ。

差別のいくつかの形態が修正できる一方、これは、失業と貧困の生活を彼らに固定するだろう、村々の破壊、土地喪失、近隣都市への住民の強制移送に至る場合の事例でない。そうした行為を通して現状を維持することが、一方で二国家解決の現実性を妨げ、他方で、分配された空間でのたったひとつの政権の最も険悪な面を体現する。これに対する抵抗は、脅威にさらされる住民1,500人のみで闘われることもできず、闘われるべきでもないが、そのような行為を人道的災害として、不正として、わたしたちの未来への現実的危険として知覚するすべてによりなし得る。

村々の未来と住民の独特な生活様式を破壊する防衛大臣の決定は、まだ防ぐことができる。計画・建設が、地域のパレスチナ人代表と合同で進められることを許し、村々の間の自由なアクセスを許して、イスラエルは、村々の破壊とその住民追放計画を撤回すべきである。

Eyal Razはエルサレムの政治活動家だ。この記事は元来、Haoketzにヘブライ語で発表された。この闘争のさらなる情報と参加については、Facebookページにアクセス

原文:+972

2012/08/27

#BDS:世界中の学術人、学生、芸術家への呼びかけ:パレスチナ民衆との連帯を構築するため世界社会フォーラム-パレスチナ解放に加わってください!

2012年08月23日

「2012年11月28日から12月1日まで、世界社会フォーラム-パレスチナ解放がポルトアレグレ(ブラジル)で開催されます。これは、世界中から、連帯、人権、社会正義の運動と組織を呼び集め、見解を啓発し討議し、経験やネットワークを分け合い、パレスチナ解放闘争との連帯を進める戦略やキャンペーンを計画する、歴史的イヴェントです。(さらなる情報とWSF-パレスチナ解放への呼びかけ完全版はこちら:http://wsfpalestine.net/ あるいはwww.facebook.com/WSFPalestine

イスラエルへの学術・文化ボイコット・パレスチナ・キャンペーンは、WSF-パレスチナ解放を支持して結集するよう、世界中の学術人、学生、芸術家に呼びかけます。世界中の広範囲の聴衆に、学術・文化ボイコット・キャンペーンと戦略を拡大し強めることにより、わたしたちは、パレスチナ連帯の新世代を構築したいのです。」

原文;Youth Against Normalization


 わたしたち「占領に反対する芸術家たち」も、世界社会フォーラム-パレスチナ解放 (WAF-FP) に参加することになった。TEPCO(東京電力)による原発事故に対する政府の無策で、ニッポンのNGOは今、パレスチナにまで手が回らないと書き送ったら、ニッポンが抱えるヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマ、会議の結果、ニッポンには「中東の非核化」こそふさわしいテーマということになったと、返信が届いた。「中東の非核化」なら、中東唯一の核保有国、イスラエルのNGOこそふさわしいのじゃない、などと、そのようなNGOはないかもしれないと思いつつも書き送っているうち、参加することになったのだから、巧く丸め込まれたのかもしれない。例年なら年末年始に重なる社会フォーラムが1ヵ月早まっていたことにも心動かされた。世界社会フォーラムに参加するなら、この機会をおいてないだろう。ヒロシマの友人がヴァーバルの方を引き受けてくれたから、わたしたちはヴィジュアルに集中できると、思う。

2012/08/26

ユダヤ人入植者がアルハリール南部のオリーヴ樹を台無しにする

2012年08月25日

アルハリール、(PIC) -- Havat Maon入植地のユダヤ人入植者一団が、土曜日の明け方、アルハリール(ヘブロン)市南部、トゥワニ村のアルハムラ地区のオリーヴ樹40本ほどを破壊した。

地元情報筋は、入植者たちが、オリーヴの実でいっぱいの樹木の枝を切り落とし、ラバエイ家所有の井戸に、アラブ人に対する人種差別的中傷を書いたと語った。

同日午前、村人とパレスチナ・外国の平和活動家たち何十人もが、アルハリール南部のパレスチナ人とその土地に対する、ユダヤ人入植者により系統的に遂行される攻撃に抗議するため、このオリーヴ畑に集まった。

原文:The Palestinian Information Center

2012/08/24

JAI-ATG オリーヴ摘みプログラム 2012


パレスチナ人との市民国際連帯プログラム
2012年10月13-22日

JAI (Joint Advocacy Initiative/共同唱道イニシアティヴ) は、新提案観光グループ (Alternative Tourism Group/ATG) と共に、2012年第9回オリーヴ摘みプログラムを組織しています。この農業イヴェントは、エネルギーと努力すべてが動員されるとき、パレスチナ経済にことさら重要です..

オリーヴ摘みに加えて、プログラムは、主催する組織、パレスチナの現状、アパルトヘイト壁の影響に関する予備的プレゼンテーション、エルサレム旧市街とベツレヘムの聖誕教会へのツアー、ヘブロン・ツアー、文化的夕べと懇親会を特色とするでしょう。

提案日程表(小さな変更あり)

10月13日土曜日、第1日:到着。プログラムの概観と議論のための主催組織代表とのミーティング。

10月14日日曜日、第2日:半日、選択された畑でオリーヴ摘み。昼食後、政治的ツアーとベツレヘム観光、難民キャンプ訪問含む。Jadal / Alternative Information Center (AIC)でドキュメンタリー上映後、夕食。ベツレヘム泊。

10月15日月曜日、第3日:半日、選択された畑でオリーヴ摘みに続き昼食。Applied Research Institute Jerusalem (ARIJ) で、アパルトヘイト壁と土地没収のプレゼンテーションのミーティング。オリーヴ絞り見学。夕食、ベツレヘム泊。

10月16日火曜日、第4日:エルサレム旧市街ツアー。昼食後、Israeli Committee Against House Demolitions (ICAHD/イスラエル家屋破壊反対委員会) とエルサレム周辺の入植地ツアー。夕食、ベツレヘム泊。

10月17日水曜日、第5日:自由日。

10月18日木曜日、第6日:ヘブロン旧市街ツアー。イブラヒミ・モスク見学。Hebron Rehabilitation Committee (HRC/ヘブロン復興委員会) とヘブロンの状況に関するプレゼンテーションのミーティング。昼食。ガラス工場見学。自由時間。夕食、ベツレヘム泊。

10月19日金曜日、第7日:一日、選択された畑でオリーヴ摘み、昼食含む。夕食、ベツレヘム泊。

10月20日土曜日、第8日:半日、選択された畑でオリーヴ摘み。夕食後、BADIL Resource Center for Palestinian Residency and Refugees' Rights(パレスチナ住民・難民権資料センター)との難民問題に関するプレゼンテーション。ベツレヘム泊。

10月21日日曜日、第9日:半日、選択された畑でオリーヴ摘み。昼食。組織代表との評価ミーティング後、音楽の夕べ。ベツレヘム泊。

10月22日月曜日、第10日:出立

人びとがわたしたちのミッション、Keeping Hope Alive(希望を持ち続ける)に共に加わり、無慈悲な軍事占領下のパレスチナ人の日常生活についてもっと知ることは、わたしたちの喜びです。

原文:Joint Advocacy Initiative

アーカイヴ:2009年オリーヴ植樹プログラム-2
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-3
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-4
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-5
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-6
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-7
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-8

2010/12/14

Projectional Intifada at MUJI, Shinjuku, Tokyo

Photo Story: Projectional Intifada at MUJI by Artists Against Occupation - 12, December 2010

Related Story: The MUJI Decided to Cancel its Plan to Open a Store in Israel


Photo: by AAO


Photo: by AAO


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Photo: by AAO


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Photo: by AAO

2010/12/04

JAI オリーヴ植樹キャンペーン調整者そして彼の拘束と尋問

 2010年11月4日、オリーヴ植樹キャンペーンのバハ・ヒロは、ベツレヘム地区の農夫たちと会うオランダ映画監督とパレスチナ人カメラマンに加わった。訪ねる農夫のひとりは、過去数年で、イスラエル軍により、オリーヴ樹300本近くを失った、ジャバのアブ・フィラスだった。アブ・フィラスは、畑の一部がイスラエルのアパルトヘイト壁の部分であるフェンス建設のため破壊され、その畑に植樹されるオリーヴをキャンペーンから受け取った。今日、アブ・フィラスは、その上に、彼の土地を深く切り取る、40メートル幅の有刺鉄線、通電フェンス、溝二筋、未舗装道路2本、およびパトロール専用道1本がある畑を有する。これに加え、彼は、土地の残存部分がイスラエル軍により決定される軍事閉鎖区域に陥ると思われている。

 アブ・フィラスが、どのように樹木の世話をし彼の物語を説明するため待っていた畑に、訪問者たちが到着した5分後、イスラエル軍部隊は畑にやって来て、カメラマンの撮影を止め、パレスチナ人たちを4時間に渡って拘束、彼らを取り調べ畑に留めた。罪状は、訪問者たちが軍事閉鎖区域におり、イスラエルのフェンスを撮影していたということだった。訪問の目的が、土地の所有者に会い、樹木を調べ、イスラエルにより引き起こされた畑の破壊を目撃することと説明した試みのすべては、訪問者たちの解放を得るに至らなかった。

 解放の時、イスラエル軍は、オリーヴ植樹キャンペーン調整者とカメラマンに、更なる取り調べのため、軍調査官の前に出頭するよう軍命令を手渡した。西岸身分証明のバハ・ヒロは、ベツレヘム (イスラエル民事行政) 管区のイスラエル軍本部に出頭し、イスラエル発行のエルサレム身分証明所有のカメラマンは、エルサレムで出頭した。ふたりの出頭は、続く月曜日と火曜日、11月8日と9日の午前9時に予定されていた。

 バハは、11月9日火曜日、尋問のため赴き、9時から13時30分まで待たされて、11月14日日曜日に、再びそこへ出頭する別の軍命令を渡されたのみだった。

 日曜日に、バハは再び尋問に赴き、屈辱的身体取り調べに直面し、90分近く、彼の仕事、家族、友人、政治的見解、社会的生活についての尋問を受け、その後に解放された。イスラエルのアパルトヘイト壁近くにいるだけで、イスラエル軍法を犯し、従って違法と考えられることが、尋問を通し明確となった。イスラエルは、アパルトヘイト壁 (長さおよそ700km) から150メートル〜200メートル(被占領地)内部の領域を、軍事閉鎖区域として公式に考える。

 拘束、尋問、ハラスメント、時間の浪費を含む、このイスラエル軍事手順全体が、彼らの抑圧的措置で、アブ・フィラスのような、パレスチナ農夫や地主たちを従わせることを確実にするため、イスラエルによりなされる。

(略)

 わたしたちは、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、日本、米国、イギリス、ドイツ、スイス、オランダ、アイルランドの人びとに、これら国々でのオリーヴ植樹スポンサーで、いかにして最良の支援ができるのか、わたしたちに知らせるよう促したい。また、あなたがそれら以外の国なら、そしてあなたの国でオリーヴ植樹キャンペーン設置を支援くださるなら、わたしたちに知らせて欲しい。