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2012/10/10

入植者たちがナブルス近くに新違法前哨基地建設


2012年10月03日水曜日



ナブルス (Ma'an) -- ユダヤ人入植者たちが、水曜日、西岸北部の民間所有のパレスチナの土地に、新違法入植地前哨基地を建て始めたと、パレスチナ自治政府職員は語った。

西岸北部の入植活動を監視するガッサーン・ダグラスは、Ma'anに、ナブルス近くのヤヌーンの丘に、入植者たちが、移動住宅、水タンク、テント、農業用物置を設置したと語った。

9月後半、入植者たちは、その地域の土地、200ドゥナム(200反/6万坪)を均すためブルドーザを使用した。

火曜日、パレスチナ自治政府は、西岸での入植者活動を非難した。

ラマッラの内閣は、入植者たちが、ベツレヘムのアルハデルの私有地に移動住宅を設置したと語り、ラマッラに近いミフマスとナブルス地区の2村での農夫たちに対する入植者攻撃を非難した。

大臣たちは、「来たるオリーヴ収穫シーズンとパレスチナ人農夫たちを標的とするこれら系統的で組織された攻撃」の拡大の可能性を警告した。

原文:Ma'an News Agency

アーカイヴ:入植者たちのパレスチナ人農夫攻撃 - 3題

2012/10/04

イスラエル軍が「入植者暴徒により攻撃された」パレスチナ人ふたりを拘束



2012年09月26日水曜日

ナブルス (Ma'an) -- イスラエル軍が、水曜日、ナブルス南部の入植者暴徒により攻撃されたパレスチナ人ふたりを拘束したと、地元住民は語った。

イヤド・ラシュダンとムハマド・アッランは、入植者集団が彼らを攻撃したとき、エイナブス村の畑でオリーヴを摘んでいた。

イスラエル軍が到着し、パレスチナ人ふたりを拘束したと、地元住民はMa'anに語った。

イスラエル軍報道官は、その事件に精通していなかった。

より早く、Migron前哨基地の入植者何十人もが、エルサレム北部の農夫を攻撃し、複数の負傷を負わせたと、地元職員は語った。

「多数の入植者が、農夫、アベド・アルカリーム・マイケル・アブアリ、57歳を、500メートルほど追いまわし、鉄の棒や石、棒で彼を殴った」と、活動家、サエド・アッラー・ハーレド・アブアリはMa'anに語った。

入植者たちがオリーヴ樹150本ほどを切り倒したとの報告を受け、農夫4人が、ミフマス村近くの彼らの土地を調べに行ったと、村議会職員、ムハマド・カナーンは語った。

農夫たちは、彼らの土地に到着したとき、待機していた入植者30人に攻撃された。彼らは、続いて入植者集団に40分ばかり殴られたアベド・アルカリーム・マイケル・アブアリを除いてすべて逃げ遂せたと、カナーンは語った。

原文:Ma'an News Agency

2012/10/01

世界社会フォーラムパレスチナ解放への呼びかけ


2012年09月28日

世界社会フォーラムパレスチナ解放への呼びかけ

2012年11月28日 - 12月1日、ポルトアレグレ

親愛なる友人・パートナー・支援者のみなさん:

わたしたちはみなさんに、パレスチナから心からの挨拶を送ります。

みなさんのわたしたちへの継続的支援と連帯の観点から、わたしたちは、この呼びかけと招待状でみなさんにアプローチしています。

みなさんもご存知のように、毎年11月29日は、「国際パレスチナ民衆連帯の日」として記されます。毎年、多くのイヴェントと活動が、この日を記念し、公正、自由、独立のための闘争に於けるパレスチナ民衆との連帯を表明して、世界的に開催されます。今年、2012年に、JAI (Joint Advocacy Initiative/[YWCA・YMCA]統合唱道イニシアティヴ) のわたしたちは、ブラジル、ポルトアレグレの世界社会フォーラム - パレスチナ解放への参加で、わたしたちに加わるよう招待したいと思います。11月28日から12月1日まで開催されるこのグローバルなイニシアティヴは、これを最後にパレスチナに於ける公正を伴う和平達成に向け、共に作業する支持者と献身的ネットワークの結集を模索します。

以下は、世界的呼びかけからの抜粋のいくつかです:

「ブラジルが、パレスチナ分割で合意した国連総会会議で議長を務めてから正確に65年後、ブラジルは、異なるタイプのグローバル・フォーラム:政府が失敗してきた世界中の人びとが立ち上がる歴史的な機会をホストするだろう。世界の人びとが、地域の公正と和平に寄与する、新たなヴィジョンと効果的行動を議論するため一緒になるだろう。このフォーラムへの参加は、パレスチナとの連帯を構造的に強め、パレスチナ人の正当な権利を満たすための行動を促進し、国際法に責任のあるイスラエルとその同盟国に守らせるだろう。

わたしたちは、ポルトアレグレで、2012年11月28日 - 12月1日のWSFパレスチナ解放に加わるよう、世界中のすべての組織、運動、ネットワーク、連合に呼びかける。

ともに、わたしたちは、パレスチナとのグローバルな連帯を新たなレベルに上げることができる
」。

イヴェントの主要な柱は、アパルトヘイト壁のない、人種差別のない、包囲もなく族長的社会制度もない世界のため、そして最終的に、パレスチナの民衆抵抗と社会運動を支持するメカニズムのため、帰還権と自決、国際法、人権と戦争犯罪者の告発、闘争と連帯の戦略(例えばイスラエルに対するボイコット、脱資、制裁)となるでしょう。

JAIは、オリーヴ植樹キャンペーンを中心題目とするサイド・イヴェントで参加するでしょう。わたしたちは、みなさんの出席と寄与する仕事で、みなさんが加わり、このグローバル・イヴェントを強めるよう呼びかけます。みなさんが加わるなら、わたしたちがそこで会い、パレスチナの独立の民族的熱望達成に向けて組織し、連結し、ネットワークできるように、どうぞお知らせください。

以下のリンクは、イヴェントの公式ウェブサイトです。そこで、登録の下、みなさんのサイド・イヴェントあるいはワークショップを登録することができます。
http://wsfpalestine.net/en/

わたしたちは、今年、ポルトアレグレでみなさんに会うことができるよう望みます!

連帯して、
JAIチーム


原文:Joint Advocacy Initiative

アーカイヴ:#BDS:世界中の学術人、学生、芸術家への呼びかけ:パレスチナ民衆との連帯を構築するため世界社会フォーラム-パレスチナ解放に加わってください!

関連記事:ロジャー・ウォターズが世界社会フォーラム「パレスチナ解放」支持

2012/09/30

入植者たちのパレスチナ人農夫攻撃 - 3題


PA職員:入植者たちがナブルスの土地200ドゥナムを掘り返す

2012年09月25日火曜日

ナブルス (Ma'an) -- 入植者グループが、火曜日、ナブルスの村、ヤヌンの農地、200ドゥナム(200反/6万坪)を掘り返したと、PA(パレスチナ自治政府)職員は語った。

西岸北部の入植活動を監視するガッサーン・ダグラスは、入植者何十人もが、土地を破壊するためブルドーザを使ったと、Ma'anに語った。

原文:Ma'an News Agency

ユダヤ人入植者たちがパレスチナの農場に廃水を向ける

2012年09月27日木曜日

ユダヤ人入植者たちは、パレスチナ人所有の農場に、収穫中の作物に被害を与え、その廃水を向けた。事件はベツレヘムの西、フキーン村で起こった。

村議会議長、アフメド・ソッカルによれば、Bitar Elite入植地の入植者たちが、行為を何度か繰り返した。作物を害し、農夫たちの時間を費やさせるのと別に、またそれが環境に深刻な負の影響を与えると、ソッカルは指摘した。

パレスチナ住民と人権組織は、これらと同様に破壊行動が、殆ど毎日、被占領西岸を通して起こると主張する。先週、例えば、同じ地域の他の入植者たちが多数のオリーヴ樹を破壊した一方、野生のブタ(複数)が、ジェニン周辺の違法入植地(複数)から放たれ、パレスチナの農場(複数)に損害を与えた。

原文:Middle East Monitor

オリーヴ収穫期間西岸の農夫たちの保護を求める訴え

2012年09月27日

ラマッラ、(PIC) -- 西岸の農夫の多くは、その最新がラマッラの東の農夫3人の負傷に帰着した、入植地近くの農夫たちに対して繰り返される攻撃の後、オリーヴ・シーズンの間の入植者たちの攻撃に対する保護を求めて訴えた。

ナブルス南部の農夫、モハメド・ハリールは、ことさらナブルス南部の村々に対する入植者たちの繰り返される攻撃からのオリーヴの収穫者たちの保護を求め、入植者たちを阻止しない、彼らの攻撃を止めない理由を訊ねたと、PIC特派員に語った。

西岸の農夫たちは、彼らのオリーヴ作物が盗まれだろうこと、被害を与えられるだろうことを心配し、毎年彼らに大幅な損失を引き起こす、入植者ギャング、あるいはごまかす商人たちの被害者になるだろうことを心配する。

原文:The Palestinian Information Center

2012/09/22

入植者がアルハリールで樹木根こそぎ

2012年09月16日

アルハリール、(PIC) -- イスラエル人入植者集団が、金曜日夜、彼らの多くが、ドゥーラ近くのアルマジュール地区を襲撃した一方、アルハリール(ヘブロン)南部で、オリーヴ樹を引き抜いた。

地元情報筋は、入植者たちが、アルハリール南部、ヤッタの町近くで、占領軍保護の下、15本を超えるオリーヴ樹を根こそぎにしたと語った。

目撃者たちは「PIC」に、入植者数百人が、アルハリール南部、南ドゥーラのアルマジュールとラジャム・アブヒラル地区に乱入し、イスラエル兵士たちに保護されて、地区のパレスチナの学校近くをツアーしたと語った。

入植者集団は、金曜日朝、それらの地区に入植地を築く占領の意図について市民の間に懸念を引き起こし、ドゥーラのワディ・アブカムラを襲撃した。

原文:The Palestinian Information Center

2012/09/21

イスラエルが泉を盗んだ後のヤトゥマ村の苦難

2012年9月14日

エリー
2012年9月14日|国際連帯運動、西岸


2008年、村に無料で清水を供給するパレスチナ村、ヤトゥマ所有の泉を、イスラエル軍は併合した。泉の産出の大部分が今や、ヤトゥマに直接隣接する違法イスラエル人入植地、Rechelimに向けられ、この窃盗は、水への村のアクセスを厳しく制限してきた。この入植地は、パレスチナ領域に25キロメートル以上食い込み、第4ジュネーヴ条約、第49条に従う国際法により非難される。


水を氾濫させられ、破壊されたヤトゥマのパレスチナ人所有の畑。

ヤトゥマ村議会は、1週当たり2日から3日、住民3000人が今や水にアクセスを持たないと述べた。村びとたちは今、Rechelimから、電力同様、水を買い戻すことを強いられる。イスラエル政府が、違法西岸入植地の水や公益事業を含む生計費に補助金を交付する(パレスチナ領域へのいわゆる「経済入植」奨励のため)一方、パレスチナ人は、これら農業地域の村々に激しい負担を負わせる、はるかに高い割合を課される。ヤトゥマの水の価格は、1ヵ月あたり、8000シェケル(およそ2000米ドル)である。

ヤトゥマ村の土地の自然水源もまた、入植者たちに汚染され、オリーヴ樹を害し、害虫を引きつけてきた。村人たちはまた、その土地に、作物や土地を破壊する危険な野生ブタを含み動物を駆り立てる入植者たちとの問題を報告した。農夫たちは、ことさらオリーヴ収穫の期間、Rechelimの入植者たちによる不断の攻撃を経験し、そして、イスラエル軍が、夜の殆ど、村に居合わせ、村人たちを脅かし、パレスチナ人の家に夜襲を行うと語った。2012年1月以来、ヤトゥマの住民40人が逮捕されてきて、その半分は18歳未満だ。

水へのアクセス制限は、その土地からパレスチナ人を追い出すために、被占領領域で使用される戦略のひとつだ。

原文:International Solidarity Movement

2012/08/26

ユダヤ人入植者がアルハリール南部のオリーヴ樹を台無しにする

2012年08月25日

アルハリール、(PIC) -- Havat Maon入植地のユダヤ人入植者一団が、土曜日の明け方、アルハリール(ヘブロン)市南部、トゥワニ村のアルハムラ地区のオリーヴ樹40本ほどを破壊した。

地元情報筋は、入植者たちが、オリーヴの実でいっぱいの樹木の枝を切り落とし、ラバエイ家所有の井戸に、アラブ人に対する人種差別的中傷を書いたと語った。

同日午前、村人とパレスチナ・外国の平和活動家たち何十人もが、アルハリール南部のパレスチナ人とその土地に対する、ユダヤ人入植者により系統的に遂行される攻撃に抗議するため、このオリーヴ畑に集まった。

原文:The Palestinian Information Center

2012/08/24

JAI-ATG オリーヴ摘みプログラム 2012


パレスチナ人との市民国際連帯プログラム
2012年10月13-22日

JAI (Joint Advocacy Initiative/共同唱道イニシアティヴ) は、新提案観光グループ (Alternative Tourism Group/ATG) と共に、2012年第9回オリーヴ摘みプログラムを組織しています。この農業イヴェントは、エネルギーと努力すべてが動員されるとき、パレスチナ経済にことさら重要です..

オリーヴ摘みに加えて、プログラムは、主催する組織、パレスチナの現状、アパルトヘイト壁の影響に関する予備的プレゼンテーション、エルサレム旧市街とベツレヘムの聖誕教会へのツアー、ヘブロン・ツアー、文化的夕べと懇親会を特色とするでしょう。

提案日程表(小さな変更あり)

10月13日土曜日、第1日:到着。プログラムの概観と議論のための主催組織代表とのミーティング。

10月14日日曜日、第2日:半日、選択された畑でオリーヴ摘み。昼食後、政治的ツアーとベツレヘム観光、難民キャンプ訪問含む。Jadal / Alternative Information Center (AIC)でドキュメンタリー上映後、夕食。ベツレヘム泊。

10月15日月曜日、第3日:半日、選択された畑でオリーヴ摘みに続き昼食。Applied Research Institute Jerusalem (ARIJ) で、アパルトヘイト壁と土地没収のプレゼンテーションのミーティング。オリーヴ絞り見学。夕食、ベツレヘム泊。

10月16日火曜日、第4日:エルサレム旧市街ツアー。昼食後、Israeli Committee Against House Demolitions (ICAHD/イスラエル家屋破壊反対委員会) とエルサレム周辺の入植地ツアー。夕食、ベツレヘム泊。

10月17日水曜日、第5日:自由日。

10月18日木曜日、第6日:ヘブロン旧市街ツアー。イブラヒミ・モスク見学。Hebron Rehabilitation Committee (HRC/ヘブロン復興委員会) とヘブロンの状況に関するプレゼンテーションのミーティング。昼食。ガラス工場見学。自由時間。夕食、ベツレヘム泊。

10月19日金曜日、第7日:一日、選択された畑でオリーヴ摘み、昼食含む。夕食、ベツレヘム泊。

10月20日土曜日、第8日:半日、選択された畑でオリーヴ摘み。夕食後、BADIL Resource Center for Palestinian Residency and Refugees' Rights(パレスチナ住民・難民権資料センター)との難民問題に関するプレゼンテーション。ベツレヘム泊。

10月21日日曜日、第9日:半日、選択された畑でオリーヴ摘み。昼食。組織代表との評価ミーティング後、音楽の夕べ。ベツレヘム泊。

10月22日月曜日、第10日:出立

人びとがわたしたちのミッション、Keeping Hope Alive(希望を持ち続ける)に共に加わり、無慈悲な軍事占領下のパレスチナ人の日常生活についてもっと知ることは、わたしたちの喜びです。

原文:Joint Advocacy Initiative

アーカイヴ:2009年オリーヴ植樹プログラム-2
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-3
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-4
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-5
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-6
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-7
     :2009年オリーヴ植樹プログラム-8

2009/07/07

パレスチナオリーヴオイル:国際大会で特別賞、輸出の予兆

04.07.09
ナブルス
 Palestinian Union of Agricultural Work Committees(パレスチナ農業連盟委員会)は、受賞オリーヴオイルを製産してきました。
「Shami Monocultivar」パレスチナ農家と共に、イタリアのエキストラ・ヴァージンオイル第11回国際コンペティション、L’Orciolo d’Oroで、あっさりした風味あるオリーヴオイルの特別賞を受賞しました。

 全文(英語)はタイトルクリックで。

2009/04/17

パレスチナのオリーヴの苗木を100株-3(最終回)

Olive Project show at al-Hoash in Jerusalem

オリーヴの苗が届く、そして再びパレスチナ

 エルサレムに戻る朝、アンタルはカランディア(エルサレム・ラマッラ間の検問所)で時間がかかっていると電話してきたが、ほどなく現れた。若い美術家を支援しているカッターン基金から、受賞候補となった作家の作品を纏めたカタログが3冊(隔年なので6年分)贈られ、他の書籍も合わせると7キロか8キロだろうか、東京に送ることにしたので、ヴェラはアンタルに輸送会社の場所を説明する。別れの挨拶、ハグとキスをヴェラと交わし、助手席に乗り込むと「その輸送会社を使うの?オリーヴを送るのも」と、アンタルが訊く。「ラマッラ滞在中も輸送会社をあたってみるんだよ、わかった?」と言って、彼はエルサレムに戻ったのだった。「解決したのよ」と、ヴェラがPARCを紹介してくれたこと、その所長がアルアマルを知っていて直接話し、東京への輸出業務を引き受けてくれたことなど伝えた。「それはよかった」とアンタル、彼は笑うことがない、でも安堵は伝わってくる。7キロか8キロと見積もった書籍類は12キロあった。

 2007年2月2日、わたしはアンタルのワゴンでヨルダンとのボーダー、ヨルダン川にかかるアレンビー橋に向かった。軍事占領下、出入国オフィスを管理するのはイスラエル軍、パスポートをチェックするのはイスラエル兵である。オリーヴの苗木100株を、持ち帰ることも考えたが、没収されずに出国できる確信はなかった。デモに対してイスラエル軍が撃ち込む催涙ガス弾が足下に転がった場合、それを拾ってイスラエル軍に投げ返すことも「暴力」として催涙ガスにむせ返ることを選ぶ非暴力国際連帯組織ISMをも「テロ組織」指定するイスラエル政府にとっては、わたしもまた「テロリスト」に違いない。
 5日にアンマンを発ちパリ経由で6日に東京に戻ったが、3月にはビルゼイト大学美術館で、4月にはエルサレム、アルホウシュ画廊で「オリーヴ・プロジェクト」展の開催が決まっていたから、東京滞在も1ヶ月ほど、荷を解くつもりもなかったが時間もなかった。
 オリーヴ発送を知らせるメールがサリームから届いたのが12日、わたしは(あたかも輸出手数料を支払ってでもいるかのように)トラッキングしたいから輸送会社とシリアル・ナンバーを知らせて欲しいと書き送った。代理店から送らせるのに手間取ったのかもしれない、18日に送り状をスキャンしたPDFファイルが転送されてきたが、トラッキングする前に、2月19日、オリーヴの苗木100株は成田に到着した。

 ビルゼイト大学美術館での「オリーヴ・プロジェクト」展オープニング、3月14日は朝から土砂降りの雨だった。大学美術館でヴェラとオープニングの準備をしながら「誰か来るかしら?こんな雨の日、わたしだったら展覧会になど行かない」と言うと「ラマッラ農業協同組合からオリーヴの苗が贈呈されることになっているの、ユニオンのメンバーが出席するわ、でも植樹式は無理ね」と彼女。パレスチナ在住の出品者も少なくなかったから(新たにラマッラの作家とパレスチナ在住のスエーデン水彩画家が加わった)、出品者は出席するに違いない。「サリームも来るのよ、この展覧会はPARCの支援を受けているの」、ヴェラのことば通り彼はやって来てオープニングで「あいさつ」した。雨は激しさを増すばかりだったのに、会場は人びとであふれた。「感謝のしるし、土産があるの」、サリームのオフィスを翌日、10時に訪ねることにする。

 翌朝目覚めると雨は湿った雪に変わっていた。ラマッラ、ラムは高地、アッラーは神の意、「神宿る高地」、一説では「神に導かれた民が住まう高地」、ラマッラでもオリーヴは育つのだから信州でも育ってくれるに違いないと思えるほど寒かった。携帯電話が鳴って「雪だよ、雪」と声の主、「エルサレムも雪なの?ラマッラは雪だけど」とわたし。エルサレムに行ったなら、この友人宅に、数日か1週間、仲違いしなければ10日ほど滞在することになっていた。
 晴れているならPARCは歩いて行ける距離だが、滑りそうでタクシーを使う。
 オープニングへの出席と展覧会への支援、そして何よりオリーヴ輸出の労を感謝する。「展覧会支援はわたしたちの義務」とサリーム。用意した土産は揃いのマウスパッドとアームレスト、DVDケース、(わたしの問い合わせに答えるばかりでなく、アルアマルの準備状況や、発送後のベングリオン空港での調査のことまで、必要な情報をすべて知らせてもらっていた)あまりにコンピュータに向かわせすぎたと感じていた。そして夫人に日本の組紐、帯締め、「ピュア・シルクよ、ベルトに使うの」と言うと「知ってる、ニッポンに行った時の妻への土産はキモノだったから」。
「オリーヴの輸出でおかけした手数への返礼に、わたしにできることがあるならどんなことも厭わない」と言うと「ニッポンにはオリーヴオイルを輸出していますから、わたしたちの希望は、やはり、ニッポンでの消費拡大です」と、予測した返事、「努めてみます」と応じる。輸送明細書と送り状、残金を受け取る時に、サリームがヴェラに渡した2,000ドルの預かり証を回収しなかったことに気づく。「構いません、ヴェラに廃棄するよう伝えてください」。

 このようにして、パレスチナのオリーヴの苗木100株の輸出に関する全行程を終えた。
 ビルゼイト大学美術館での「オリーヴ・プロジェクト」展が終わり、エルサレムのアルホウシュ画廊に展示して、そのオープニングが4月5日、東エルサレムYMCAからエルファムも出席した。
 イースターの季節、エルサレムのいたるところ、観光客で溢れていた。そんなエルサレムを、4月7日、あとにする。やはりアンタルのワゴンで、しかしワゴンには満杯の観光客、もはや独占とはいかなかった。ひとつ残っていた座席に滑り込むと、隣にフィリピンからやって来た夫婦と後ろの座席に成人に達した子どもたち。ともかくも太平洋戦争を詫びる。侵略国のパスポートを持つ身、肩身は狭い、が、互いの所属の国が明らかになった以上、何事もなかったように話しだすわけにはいかない。「もう過去のことですから」と言ってもらえるが、彼らにとっても、そう言うよりほかないのだ。
 
 オルター・トレード・ジャパンが輸入するPARCのオリーヴオイルは月桂樹の香りがする。わたしは1ダースづつ注文する。個人的な嗜好で、オイルの消費量はきわめて少ないから、贈り物に使う。これで、サリームと約束した「ニッポンでの消費拡大」に努めていることになるだろうかと、時々考える。少なくても、パレスチナのオリーヴの苗木を希望した美術館の、アネックス・ギャラリーが併設するカフェではPARCのオリーヴ・オイルを使っている。信州の、読書館が併設するレストランではどうだろうと、考えている。(おわり)

 PARCのオリーヴオイルの注文はこちら:オルター・トレード・ジャパン

2009/04/16

パレスチナのオリーヴの苗木を100株-2


The Ethnographic and Art Museum at Birzeit University

輸出、ラマッラから東京に---ヴェラとサリーム

 アンタルの運転するワゴンで、エルサレムから北に15キロほど、ラマッラのヴェラ宅にやってきた。「歓迎する」と招待を受けたのだ。
「オリーヴ・プロジェクト」展出品者でもあるヴェラ・タマリは、2002年のイスラエル軍ラマッラ侵攻で、戦車により破壊され通りに放置された車を集めた(移動の自由を保証する筈の車の、移動の不可能性---占領を表現する)野外インスタレーションを試みたが、その会場にイスラエル軍のブルドーザが訪ねてきて作品に襲いかかり、作品の隠喩を暴露してみせたのでインターネットをにぎわせた。ビルゼイト大学美術科教授であり、大学美術・博物館の館長でもある。
 大学に向かう車中、パレスチナのオリーヴを植栽したいという日本の美術館の情熱(その美術館のアネックス・ギャラリーが「オリーヴ・プロジェクト」展のホストだったの、と)、アンタルの案内でオリーヴの苗木を100株カルキリヤで求めたこと、東京への輸送が懸案となっていることなど話した。
「アンタルという名のひとに会ったの初めて。知ってる?アンタル」とヴェラ、「知ってる、古い冒険物語のヒーローでしょ」「そう、でも昨今、アンタルと名付けることはないの。どんな物語か覚えていないけど」「結婚の条件に、珍しいラクダを要求されたのじゃない?その部分しか思い出さないけど。何といったかしら、ヒロイン」「アブラ」とこれはヴェラが思い出した。そう、アンタルとアブラだ。

 ビルゼイト大学で過ごしているとき、農水省は「許可証」を発行しない、輸出国農業省の「証明書」が必要、との知らせが東京から届く。パレスチナの運輸会社が馴染んでいる欧米への輸出システムとは違うらしい。輸出国というのは「イスラエル」だろうか、あるいは「パレスチナ自治政府」の農業省なのか、悩ましかった。
 夕刻、大学から戻ると「紹介できるひとがいるわ、彼ならオリーヴを東京に送るのを手伝える、パーク(PARC:パレスチナ農業振興委員会)のサリーム・アブガザーリよ、電話してみるわね」と、ヴェラは住所録を開く。翌日、PARCを訪ねることになったが、わたしひとり、彼女は大学がある。

 サリームのオフィスには先客がいて、「どうぞ」と机の前の椅子をわたしにあけ渡し、壁際の椅子に移る。サリームは忙しいらしく立っていた。「コーヒー?紅茶?」「紅茶、砂糖入りで」名刺を交換しながら、彼は開いたままの扉から叫んで紅茶を注文する。その僅かな隙にわたしは名刺から「所長」の文字だけ確認する。
「オリーヴの苗木を東京に送るとか、現在の状況は?」「カルキリヤのアルアマル、アルアマルはろうのひとたちの職業創出を事業としているのですが(ええ、知っていますと、サリーム)何しろ100株ですから準備中です。ニッポン農水省の許可証が必要とのことでしたが、農水省によれば許可証は発行しないと」「ええ、ニッポンの農水省は許可証を発行しません。パレスチナ農業省の証明書が添付されることになります。検疫に必要で」。要領を得なかった農水省の言い分が明確になる。彼がニッポンへの輸出を熟知していることは疑いない。パレスチナ農業省の証明書ならば問題もない。
 PARCはニッポンにもオリーヴオイルを輸出しているという。手渡されたリーフレットには取り引きのある外国の企業というよりはNGOと思しきリストが掲載されていた。サリームは、日本の輸入元、Alter Trade Japanを指差す。
「分量は100株、価格は?」「500ドル」「品質は?」「3年ものと4年もの」「PARCが輸出を引き受けましょう、PARCの荷物ということで、手数料なしで(「ただで」と言ったのだった)」「感謝します」。これもヴェラの紹介があったからなのだ。実は期待していた訳ではなかったが、懸案は猛烈なスピードで解決に向かっていた。PARCの所長は忙しい、何度かかかってくる電話で中断され、スタッフが書類への署名を求めてやってくる。その合間合間に、大急ぎでわたしたちは話していた。
「必要な書類を言いますから、アルアマルに伝えてください」「電話しますが直接話してくださる?ワリード(アルアマル所長)は英語を話しませんから」とわたしは携帯電話を取り出す。「構いません」ワリードの携帯電話につないで「ちょっと待って」とすぐサリームに手渡す。彼が発する、わたしも理解する「ムシモシュケレ(問題ない)」「タイーブ(いいでしょう)」などから展開は上首尾とわかる。アラビア語だったにも拘らず、パレスチナ農業省の証明書はPARC宛でと言ったのがわかったのは、既に英語で聞いていたからに違いない。「彼は会議があって明日ラマッラに来るそうです。ここに寄ってもらうことになりました。輸送はPARCが依頼している代理店を使いましょう。輸送料はいくらになるか判りませんから2,000ドル、ヴェラに預けておいてください。送り先はメールで(これは手書きの判読を避けるため)」、必要にして充分、彼のことばに無駄はない。これで懸案は片付いたのだった。彼が忙しいのだから長居は無用、「そうします、3月にまたまいりますから、ベツレヘムで開催中の展覧会がビルゼイト大学美術館でも開催されますので、足りなければその時に」と、金銭的な心配は無用とのメッセージを残す。「感謝します」、そしてタクシーを呼んでもらう。

(つづく)

2009/04/14

パレスチナのオリーヴの苗木を100株-1



Olive Project show at the International Center of Bethlehem

オリーヴの苗を100株、カルキリヤで---アンタル

 第1回(2006年5月)が、東京のアート・ホールで開催された「オリーヴ・プロジェクト」展は、新たにカナダ作家の参加を得てベツレヘム国際センターで開催中だった。この展覧会のキュレーターとして(出品者でもあるが)展示のため、わたしはパレスチナに滞在していた。
 東エルサレムYMCAから、イスラエル軍によって引き抜かれたオリーヴの再植樹を促す「オリーヴの樹キャンペーン」への協力要請を受け、Artists Against Occupation (AAO/占領に反対する芸術家たち)10人ほどが、各国(カナダ、フランス、日本、アメリカ)からパレスチナに集まったのが2004年10月、ベツレヘム、カルキリヤ、ナザレなどでオリーヴを取材した。この取材から生まれた作品で構成される展覧会が世界各地で開催され「キャンペーン」が知られ、植樹への寄付が集まることをYMCAは期待していたが、東京での第1回展まで既に1年半が経過していた。第2回展となったベツレヘム国際センターでのオープニングは、2007年1月25日。ベルファストから、遅れてオリーヴ取材に訪れたAAOメンバー、リチャードとクリスティンもこのオープニングに出席した。

 オープニングを終えてエルサレムホテルに移ったわたしは、このホテルの観光部門、オルタナティヴ・ツアーのドライバー、アンタルとオリーヴの苗を求めてカルキリヤに向かった。
 ヨルダン川西岸はガザ回廊と並んで、1948年のイスラエル建国と第一次中東戦争によりパレスチナに残された領域(実際には中東戦争の結果として、西岸はヨルダンに、ガザはエジプトに併合された)、あるいは1967年の第三次中東戦争以来、イスラエルの軍事占領を受ける領域をあらわす呼称となった。その西岸北西部、エルサレムから直線距離で50キロほどにカルキリヤは位置する。信州に植栽されるのだから北のオリーヴを手に入れようと考えてはいたものの、アンタルには別の目論見があって「個人の店で買ってもそのひとの懐を潤すだけ、でもアルアマルで買うなら利益はすべて聴覚障害者の支援に使われるんだ」と、75キロほどだろうか(イスラエル・ナンバープレートのワゴンで、西岸の道路封鎖や検問所を避け、イスラエルのハイウェイを使う)遠出の意義を力説する。「ぼくの寝室もアルアマルの木工所の家具で設えたんだ」と。
 アルアマルの圃場に着くとシートベルトを外しながら「苗木1株、いくらと考えている?」とアンタルが訊く、「5ドル」とわたし。3年もの1株3ドル(日本で買うなら30ドルは下らない)、それに土を洗い落として(土付きでは輸入できない)水をしみ込ませたボロで包む手数料を含めた金額である。アンタルは交渉を担おうと考えているらしい、何しろここに案内したのは彼なのだから。
「1株あたり5ドルでいかがですか?」とアルアマルの所長、ワリード。妥当な金額だから値切らない。「いいわ、苗木は3年もの、土を洗い落とすのも水をしみ込ませた布で包むのもすべて含めて」「ええ、苗木は3年ものと4年もの(3年ものだけでは100株揃わないらしい)、段ボール箱に梱包して輸出の段取りまですべてこちらで。どちらの運送会社を使いますか?」とアルアマル。布ではなく土の変わりにピートモスをビニールポットにつめて水を含ませるという。交渉成立、圃場から街中のオフィスに移動する途中、アルアマルの作業所、木工所とアルミサッシュ工場に立ち寄る。アラビア語で交渉していたアンタルもさすがに手話の心得まではなく、木工所で戸棚を作っていた聴覚障害のふたりの青年たちとの会話は不可能だった。オフィスで甘い紅茶を飲みながら、500ドルの領収証を受け取る。輸出にあたって、ニッポン農水省の許可証が必要とのことだった。エルサレムに戻る車中「あしたの朝、運輸会社をいくつかあたった方がいいね、アラメックスとDHLと他にも」とアンタル。

 翌日は日曜だったが東エルサレムの殆どは営業している。アラメックスとDHLをまわり成田への輸送料を訊ねる。支店長はアルアマルに電話して、段ボール箱の容量を確認すると計算機を叩く。2,500ドル、オリーヴの代金と合わせて3,000ドル、ニッポンで買うのと変わりないなら高くはない。何より(当時)建設途上の読書館の庭に植栽するオリーヴは、パレスチナのものでなければならないというのだから。どの支店も、植物の輸出にはニッポン農水省の許可証が必要と口をそろえる。
 東京の美術館出版部門に電話して、農水省に植物輸入の「許可証」なるものについて問い合わせるよう依頼する。明日は月曜だから農水省も「営業日」だし、と。

(つづく)
 関連サイト:日本YWCA: パレスチナ オリーブの木キャンペーン募金

2009/03/09

イスラエル、カルキリヤでオリーヴを伐採


2009年3月8日
 カルキリヤ地区のラスティラ村のパレスチナ農夫は、彼のオリーブを含む村民のオリーヴの樹々がイスラエルに伐採されるのをみて心臓発作をおこしました。この伐採に異議を唱えたイスラエル活動家2人とアメリカ、デンマーク、スエーデンからの連帯活動家3人、計5人が逮捕され、ケドゥミム入植地の警察署に連行されました。
 全文は:International Solidarity Movement

2009/02/19

ニリン村から


 オリーヴが引き抜かれています。

2009/02/17

2009年オリーヴ植樹プログラム-8


 オリーヴ植樹プログラム、最終日の抄訳です。

第9日(2月15日):ジャブア
 この日は、ベツレヘムに住みエルサレムに仕事を持つ2000人のパレスチナ人の常態化した手順を視るため、まだ暗いうちに始まりました。定刻に仕事場に着くようにと、チェックポイントには午前3時からパレスチナ人の列ができるのです。(携帯電話、小銭入れ、鍵ばかりではありません、腕時計も、ベルトも外し、靴も脱がなければなりません。さもないと、金属探知のブザーが鳴ってしまいます-みづやるひと)

 ベイト・サフールで朝食を取った後、南西に数マイル、美しい田園の村、ジャブアにオリーヴ植樹に行きました。隔離壁が完成すると所有者から切り離される、アブ・フィラスとアブ・ニダルの畑でした。アブ・フィラスの畑は高速道路に隣接しており、入植者が、セダンを大変ゆっくり運転して、何度も通り過ぎていました。30分ほど後、わたしたちが高速道路を横切ってアブ・ニダルの畑に行くと、軍警察の車がやってきて木を引き抜くと脅して立ち去りました。参加者は大いなる情熱にかられ植え続けました。
 気がつくと、軍用ジープが止まっていて、兵士が二人「閉鎖軍事地域だ、植樹を止めろ」と言うのを聞きました。「この土地は農夫のもの」と農業技師のモハマド・サフィが言いました。「世界中どこだって自分の土地に植樹するのは構わない」「閉鎖軍事地域だ」と兵士は言い「彼らがここに植樹するには許可が必要だ、農夫はそれを知っている、彼らはイスラエル市民局に行って許可を得なければならない」。バハが「軍令を見せて欲しい」と言うと、兵士はふたつの畑が「閉鎖軍事地域」とされる地図を引き出しました。バハは、参加者が最後まで植えてしまえるよう、兵士にいくつか質問をしましたが、兵士は「連中は植えている」と激しさを増し、植えていたふたりに近づくと木を引き抜くと脅しました。わたしたちが畑を断念すると、兵士たちは去り、わたしたちは道路脇に坐りました。農夫の家族から美味しいマクルーベがふるまわれました。軍令について調べてみると、ふたりの畑が「閉鎖軍事地域」に指定されたのは今日、午前10時のことでした。(画像はイスラエル軍令)

 午後はベツレヘムで買い物などして、7時半に再会、最後の夜、食事と音楽を堪能しました。

2009/02/15

2009年オリーヴ植樹プログラム-7


 オリーヴ植樹プログラム、第8日の抄訳、タイトルをクリックすると英語ページに移行します。
 画像はビルゼイト大学学内(駐車場付近と思われます-みづやるひと)

第8日(2月14日):ラマッラ
 この日はベイト・サフールからラマッラへのドライブで始まりました。かつてはエルサレム経由で25分で行くことができましたが、現在はいくつかのチェックポイントを含め、大回りの1時間長い冒険旅行です。
 ラマッラ到着後、「子どもを護るインタナショナル」から、イスラエル政府により投獄されている何百人もの子どもの状況について聞きました。ハーレドによると、子どもが強制のもと自白する前に、弁護士が子どもと接見できないケースは90パーセント以上、例えば「医療的配慮」を要する子どもの場合、子どもが読めないヘブライ語で書かれた自白調書に署名するよう言われることもあるそうです。仮に軍事法廷で、自白が得られなかったり、告訴できなかった場合でも、彼らは、6ヶ月の行政勾留をすることができ、何度更新しても構わないのです。
 その後わたしたちは、政治犯の人権と支援のための組織「アダメール」と合流、パレスチナ政治犯の状況、無期限勾留や、原告弁護士にさえ「安全上の理由」ということで開示されない政治犯ファイル、また、感覚を奪ったり「バナナ」と呼ばれる、後ろに傾いた椅子に縛りつけるイスラエルの拷問技術について聞きました。
 ビルゼイト大学に行って昼食をとり(ビルゼイト大学のカフェテリアの料理はかなり美味-みづやるひと)、その後、教育の権利キャンペーンのコーディネータから、占領によって、いかにパレスチナ教育が阻害されているか聞きました。
 ラマッラに戻る途中、ヤセル・アラファトの墓に立ち寄り、ラマッラ市街で1時間ばかり緊張をほぐす自由時間を過ごしました。ベイト・サフールに戻るために、またチェックポイントを通過しなければなりませんでした。

2009年オリーヴ植樹プログラム-6


 オリーヴ植樹プログラム、第7日の抄訳

第7日(2月13日):アルハデル
 アルハデルのアブ・マヘルの農地はアーモンドのピンクの花が(桜のよう、でも桜の花より少し大きめ-みづやるひと)咲き乱れていました。でも遠くには例の幾何学的入植地、北にエル・アザル、西にアロン・シャヴァト、南にミグダル・オズ、そして東にエフラットが見え、間には、イスラエルのバイパスがアブ・マヘルの農地の縁に走っています。そして今、アブ・マヘルの丘の頂は、計画によるとアブ・マヘルの土地を飲み込んで、ついにはエル・アザルとアロン・シャヴァトを繋ぐ新しい入植地の前哨拠点として、数十のトレーラーハウスが無断居住しているのです。
 アルハデルは、隔離壁により土地の95パーセントを失いました。アブ・マヘルの土地も、1949年の停戦ラインから5キロメートル西岸にくい込んだ隔離壁の向こう側になってしまいました。もしイスラエルがアブ・マヘルのゲートを、あるいはバイパスへのアクセスを閉鎖するなら、彼は自分の農地へのアクセスを失うことになります。助けになるものがあるとするなら、それはオリーヴ。

 最初の1本を植える前に軍用ジープがやって来て、誰の土地かを知りたがりました。アブ・マヘルの、自分の土地(それも4世代に渡って)との主張に疑念を差し挟み、結局アブ・マヘルは、日曜日、市民課に土地権利証を持っていくことを了承しなければなりませんでした。兵士たちはわたしたちを写真に撮り「今日のデモでお前たちの誰でも見つけたら日曜日に木を全部引き抜いてやる」と脅しました。
 デンマークルーテル派教会代表団から12人が加わって植樹しました。昼までにすべて植樹して、参加者はアブ・マヘルのシェルターに集まりました。昼食が届き、わたしたちはアブ・マヘルと家族の歓待を享受しました。

 午後、わたしたちはベイト・サフールのJAI本部で過ごし、参加者がそれぞれの経験を持ち帰りどう行動できるかの話を聞き、5人づつのグループに分かれて、ここで学んだこと、知識をどのように広め、パレスチナ人を支援していくかを話し合いました。

2009/02/14

2009年オリーヴ植樹プログラム-5


 オリーヴ植樹プログラム第6日の抄訳。

第6日(2月12日):ヘブロン
 アブラハムとサラ、イサクとリベカ、ヤコブとレアの墓があるイブラヒムモスク(ゴールドスタインの乱射事件のあったモスク-みずやるひと)までの僅か100メートルほどの間で、わたしたちは3カ所のチェックポイントを通らなければなりませんでした。ヘブロンは、西岸の他の都市と違って、イスラエル人入植者が、旧市街の中心部に、パレスチナ人の家屋の隣や上の階に住み着いています(上の階からゴミを投げ捨てるので、旧市街には鉄製ネットが張られています-みづやるひと)。
 オランダからの参加者、フランツは、「地中海からユーフラテスまですべてユダヤの土地で、パレスチナ人に対する不正義など存在しない」と主張する入植者と言い合いになりました。最も若い参加者、ジュネーヴからやって来た20歳のレア・キンバーは遭遇したことにこころ動かされました。「わたしはイスラエルに惹かれてきた」とユダヤ系のレアは言います。イスラエル旅行を計画しましたが、彼女の祖父、ドナルド・フィリンガーがオリーヴ植樹プログラムに参加すると聞き、「青天の霹靂のように」一緒に行くと決め、その5日後にはベイトサフールにいたのでした。彼女のはじめの数日は超現実で「すべてがジョーク、ヴィデオゲームの中にいるように感じた、わたしの現実をあまりに越えていて」でも今日、「わたしはシオニストと話すフランツをみて、いたたまれず離れて涙が込み上げてきて、これは現実、もはやジョークじゃない」と言いました。
 その後、わたしたちは旧市街にあるヘブロン回復委員会のオフィスを訪ねました。委員会は200から800年前の建築物を修復したり建て直して、旧市街に再びパレスチナ人が住めるよう努めています。また「みなさんにも無料で住居を提供できる、電力も水道も提供できるが、安全ばかりは提供できない」と語りました。
 それから、迷路のような旧市街を歩き、新市街で昼食、ベイトサフールに帰る前、ガラス工場に立ち寄りました。

2009/02/12

2009年オリーヴ植樹プログラム-4


 第5日の抄訳、詳しくはタイトルクリックで移行する英語版をご覧ください。

第5日(2月11日):エルサレム
 ベイト・サフールでは、昨晩、雷が鳴り土砂降りが朝まで続きました。パレスチナは例をみない干ばつに見舞われており、恵みの雨となりました。
 エルサレムに向かうベツレヘムのチェックポイントで、イスラエル兵がふたりバスに乗り込んできて、参加者のうち6人をオフィスに連れて行きましたが、間もなく通過することができました。
 ダマスカス門からエルサレム旧市街を観光、昼食後、旧市街から東エルサレムYMCAに向かい、YMCAの西岸をカバーする多岐にわたるプログラムの説明を受けました。その後バスに戻り、イスラエル家屋破壊反対委員会(ICAHD)からアンジェラ・ゴドレイ・ゴールドステインが同乗、西岸のマーレ・アドゥミン入植地、東エルサレムの入植地など案内してもらい、これら入植地建設が引き起こす、パレスチナ人家屋の破壊の多くの例について説明を受けました。
 ロンドンからの参加者、フィルは、2007年にICAHDのツアーに参加したことがあり、「すべてが変わってしまっている、占領は猛烈なスピードで進み、まるで癌のようだ」と話しました。

2009/02/11

2009年オリーヴ植樹プログラム-3


 届いた報告、オリーヴ植樹プログラムの第4日の抄訳、詳細はタイトルクリックで。

第4日(2月10日):フサン/ARIJ
 訪れたのは、ベツレヘムに近いフサン村のイスマエル・アフメド・サブティン、38歳の農地。イスラエル入植地、ベダル・イリットが建設され、イスマエルの農地と入植地の間、わたしたちが植樹した場所から100メートルも離れていないところに、パレスチナ人は使えない高速道路が走っています。
 入植地ベダル・イリットとイスマエルの土地を無断使用するイスラエル軍前哨拠点などとの緊張を考え(イスラエル兵がふたり、わたしたちを視ていました)、EAPPI(パレスチナとイスラエルの普遍同伴プログラム)から4人に加わってもらいました。その中のひとりが「イスマエルがひとりだったなら、ここで木を植えるだけで逮捕されるだろう」と話しました。

 昼食はベイト・サフールのレストラン、次に向かったのがベツレヘムのARIJ(エルサレム応用調査学会)、ジャド・イサクから西岸の地政学状況について話を聞きました。