2009/02/15
2009年オリーヴ植樹プログラム-6
オリーヴ植樹プログラム、第7日の抄訳
第7日(2月13日):アルハデル
アルハデルのアブ・マヘルの農地はアーモンドのピンクの花が(桜のよう、でも桜の花より少し大きめ-みづやるひと)咲き乱れていました。でも遠くには例の幾何学的入植地、北にエル・アザル、西にアロン・シャヴァト、南にミグダル・オズ、そして東にエフラットが見え、間には、イスラエルのバイパスがアブ・マヘルの農地の縁に走っています。そして今、アブ・マヘルの丘の頂は、計画によるとアブ・マヘルの土地を飲み込んで、ついにはエル・アザルとアロン・シャヴァトを繋ぐ新しい入植地の前哨拠点として、数十のトレーラーハウスが無断居住しているのです。
アルハデルは、隔離壁により土地の95パーセントを失いました。アブ・マヘルの土地も、1949年の停戦ラインから5キロメートル西岸にくい込んだ隔離壁の向こう側になってしまいました。もしイスラエルがアブ・マヘルのゲートを、あるいはバイパスへのアクセスを閉鎖するなら、彼は自分の農地へのアクセスを失うことになります。助けになるものがあるとするなら、それはオリーヴ。
最初の1本を植える前に軍用ジープがやって来て、誰の土地かを知りたがりました。アブ・マヘルの、自分の土地(それも4世代に渡って)との主張に疑念を差し挟み、結局アブ・マヘルは、日曜日、市民課に土地権利証を持っていくことを了承しなければなりませんでした。兵士たちはわたしたちを写真に撮り「今日のデモでお前たちの誰でも見つけたら日曜日に木を全部引き抜いてやる」と脅しました。
デンマークルーテル派教会代表団から12人が加わって植樹しました。昼までにすべて植樹して、参加者はアブ・マヘルのシェルターに集まりました。昼食が届き、わたしたちはアブ・マヘルと家族の歓待を享受しました。
午後、わたしたちはベイト・サフールのJAI本部で過ごし、参加者がそれぞれの経験を持ち帰りどう行動できるかの話を聞き、5人づつのグループに分かれて、ここで学んだこと、知識をどのように広め、パレスチナ人を支援していくかを話し合いました。
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