2009/02/01

モーセと一神教



 トトメス三世が、ガザ考古学館破壊のニュースにありましたから、よぎったのがこの本、『モーセと一神教』でした。ムセス、ムーサ、モーセ、いずれにせよ、mとsからなるこのことばはエジプト語で「子ども」を意味すると。だから、モーセがエジプト人だった可能性は捨てきれない、と、フロイトは書いています(あまりに昔に読んだので、うろ覚えとしても大きく違っていることはありません、多分)。
 
 例えばギリシア神話でも、子捨ての物語は多くあります。出自は王家、しかし拾われて貧しい農夫に育てられる、この場合、実際の出自は農夫、子捨ての物語は、力で得た王位を正当化するために付け加えられた物語だろう、とフロイトは考えます(確か)。モーセの場合、エジプトで奴隷だったユダヤ人として生まれ、王家に拾われて育つ、この設定は通常の子捨ての物語と逆ではないか、と。考えられるのは、モーセは王家の出自、子捨ての物語でユダヤ人の出自が付け加えられたのだろうというのです。
 フロイトの問いは「果たして神が民を選ぶだろうか」というもの。エジプトでアケナテン(アメンホテプ四世)の治世、一神教が信仰されました。アケナテンの死後もその信仰は陰で細々と続き、モーセはそのひとり、「神ではない、モーセがユダヤ人を選んだのだ、自分の信仰を受け継ぐ民として」とフロイトはつぶやきます。

 もうひとつ興味深かった父殺し(ユダヤ人によるモーセ殺し)の物語は、罪悪感が、ユダヤ教をかくも長く延命させたと、いっていたような、いえ、もう一度読んでみます。

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