2009/02/03

エミリー・ジャーシルがグッケンハイムで


 ニューヨーク在住のパレスチナ美術家、エミリー・ジャーシルがヒューゴ・ボス賞を受賞、グッケンハイム美術館で展覧会が開催されることになりました。2月6日から4月15日まで。残念ながら展示作品の画像はありません。

 2002年、彼女はパレスチナ人の移動の不可能性を現す[Where we come from]を制作しました。アメリカの国籍とパスポートを持つ彼女はラマッラとニューヨークを行き来しています。パレスチナ48、1948年以前のパレスチナ、今ではイスラエルと呼ばれる領域をも訪ねることができます。そこで彼女は、移動を阻まれる人びとに「あなたがパレスチナでしたいことを、変わってわたしがする」と、インターネットで呼びかけました。
-パレスチナの地にザクロを植えてきて
-ハイファのカルメル山に登ってそこから地中海を眺めて欲しい
-ハイファで、わたしがそこにいたなら過ごしたであろうごく普通の1日を過ごして
-デイル・ラファト村に行って木に水をやって
-電話で話したことのある東エルサレムの女の子とデートしてきて
-ナザレの街を歩いてきて
こんなのもありました。
-アラクを持ってきて
-母を訪ねてハグとキスを、これは僕からと言って、それから日没の頃海に行って匂いをかいで、それから少し歩いて、いや充分、僕って欲張り?
このリクエストをしたのは、「ジハド、ガザ市シャティ難民キャンプ生まれ、ラマッラ在住、ガザID、両親はアスドッド出身、1948年難民となる」とあります。
 作品は、エミリー・ジャーシルがリクエストに応えて行ったことの写真、あるいはヴィデオとテキストで構成され、テキストは、リクエスト、それができない理由、エミリーの記録、例えば、ジハドの母親が、ジハドにとお菓子を持たせた、といったような記録と、ジハドについて上述したような来歴で構成され、2枚1組のパネルが、多様なリクエストによって、「こんなことも出来ないの?」と思わせる仕掛けになっています。
 2001年末から、ヤセル・アラファトの大統領府に対するイスラエルの攻撃が始まり、ラマッラはイスラエル軍によって占拠されていましたから、この制作に関わった2002年春は、エミリーの移動さえ自由とは言いがたい状況で、例えばエリコは封鎖され行くことはできませんでした。

 画像は、グッケンハイム美術館に展示される作品に変えて、[Where we come from]シリーズから1点、ジハドのリクエスト、でもリクエストは「母に、僕からとハグとキス」だけになっています。

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